叶盛吉日记>19441012

10月12日(木)
晴后くもり。
午后よりは仕迂に追はれて运搬が忙しく大いに疲れた。
でも风吕には入り、水をかばり大いに体操をやるのは快适だ。
朝日のぼる顷门を出る顷、即ち六时半顷北の方藏王の山々を见渡せば、旭日に辉く顶々は紫に赤に绿に辉いて美しい。
红は红叶と思はれる。
全山赤紫のは红叶の盛りか。
①昨日冲绳方面に敌舰载机四百机来袭す。
台湾を飞び越して来た。
【1】轰沈、朝食……ねたので腹工合とても恶い。
もっとも每夜作业服一枚きて、腹まき……いので腹が冷えて腹をこはすのであらう。
でも风邪だ……ついた。
午后二时に起きて昼めしをくったが、腹工合恶く、头痛甚だしくすぐまたねた。
午后荻[萩]庭先生来寮す。
战争目的と言论;
战意:夜工场へ行くときは凄惨にファイトなくよっぽどやすまうかと思った。
铃木はまた例の子供のやうなわがまヽから休んだ。
第一に日本人の战意はさっぱり昂扬して居らぬ。
まるで当时者だけが战争をして、そして国民を或る绝对なる名の下に引っぱってゐるやうなものだ。
一体谁の为に战争してゐるのか、あまりにも日本人は休みが多くぜいたくである。
国民は今日まで言论を极端に抑压されてゐるので盲信といふこと以外にはあまり政治的なことを知らない。
此の言论抑制、而して妄信は、为政者が非常に优れて居る场合は非常に强力な统一を完うし、その长所を发挥するが一度为政者その为すところを谬まらんか、そこに大なる危险を生じ、その短所をあらはす。
国民总蹶起大会といふやうな名の下にしばしば国民大会を计画し、行って来たらしいが、为政者と国民の生活が完璧に游离してゐるやうな今日にあっては何等の效もない。
国民大会で本当に国民の燃え上る力を感じたのは昭和十四年夏、大阪市に于ける反英国民大会【2】位が、余の记忆するところである。
仕事不调;
今日は强绵の仕迂なので、ひどかった。
……ゐるのでひりひりし、その上酸がかヽったりして凄惨……ケサラ伍代が文句ばかり云って感じが恶く、明日休んぢゃへといふ气持になった。
仕事が面白くなく、快适なくなると、もう谁の为に一体この仕事をしてゐるのかといふ反问をしてはいらだヽしくなって来る。
全くくだらない。
これなら思い切って休んだ方がよいと思ふ。
余は余がやるに值する仕事なら、どんなにつらく、身命を绪する仕事でも厌わぬであらう。
マンガ―も前がまがって、仕迂にくくなり、指さきはあれてわれてぴりぴり痛む。
たヾ防毒面をかぶってゐるので颜と呼吸の方は心配なし。
仕事がすめば重曹水でうがひすべきなのに、それすら全然用意されて居らず。
工员不足;
尚今日朝礼时山田大尉より工员不足につき、第四硝化班完成の明年03月には多数の工员を确保せねばならぬ。
されど学生は03月には工场を引き上げ、工员また入营、应召の者多い状态なれば、工员にして邻近で工场に务め度いものあらば、诱はれ度き旨云ふ。
今日でも夜きんは相当寒い。
まして冬になるを考へただけでも、皆の气持はこのアルバイトがせめて本年中12月に终って吴れればと思ってゐる。
しかし03月まではのびよう。
志愿工员と征用工;
工员でも志愿できた奴は胜手にやめられないが、然し仲々よく动く。
ちょう用されたものはよくさぼり、仕事に热意を爱着がきはめて少く、さぼれない制度……强制的に仕事をやらされて居るところが多い。
食事;
工场の食事……大いに工夫をこらし、种类を多く、如何にうまく食べられるかのやうに……してゐるが、寮はどうせ工员たちだけだと思って仲々横柄にして、芋をごろんと煮た奴ばかり出す。
其处には何等の工夫も见られない。
乐にあっさり作らうとしか考へて居ないやうなところが见うけられる。
二高生马脚を出す;
工员の二高生に对する态度少しく冷淡となりし罪は二高生侧にあらう。
若し寮单位ならば、こう云ふことはなかったらうと思はれる。
午后からは运搬をやる。
仕迂にせき立てられる。
腹工合未だ恶く感じ恶し。
三泽、秋山のファイトなく、リヤカーを嫌々ひっぱり、煮洗槽までつくと知らぬ颜をして轰沈する。
工藤氏はリヤカー系だがさっぱり动かない。
ずるく要领よくやってゐる。
ㄉㄚㄏㄛraceは元来ずるく、他raceの牺牲に于て享乐をしてゐる。
彼等は大理想を侵略の道具として使用し、而して反乱の起ざる样、无智な小国民を大理想を以て教化する。
もっと恶らつなるやり方ではある。
朝方雨降る。
今日は意地で朝饭を食ふ。
赤石组の饭にがつがつせるに一击を与えたとて皆快适と喜ぶ。
10月12日(四)
晴后阴。
下午开始忙着不断装填,也赶着搬运,真的很累。
但洗个澡,泡泡水做些体操真是痛快。
旭日东升时出门,也就是六时半左右眺望北方藏王山脉,旭日中闪耀的山顶有紫,有红,有绿,非常美丽。
红色应该是红叶。
全山紫红色,正是红叶的季节。
①昨天冲绳方面敌舰载机四百架来袭。
也飞越台湾而来。
睡着,早餐……肚子很不舒服。
毕竟每晚只穿一件工作服,没加腹卷……让肚子着凉才会不舒服吧。
但感冒了……。
下午两时起来吃午餐,但肚子还是不舒服,头又很痛,很快就睡了。
下午荻庭老师来宿舍。
战争目的与言论:战意:晚上前往工厂,大家干劲全失,几乎都要停摆了。
铃木又像小孩一样任性地要休假。
首先,日本人的战意完全没有昂扬。
好像只有一些相关人员在作战,然后就硬把国民牵扯到“绝对”的名下。
这场战争到底是为谁而打?
日本人的休假太多,太奢侈了。
至今国民言论遭到极端打压,故除了盲信以外对政治所知不多。
此种言论抑制,以及妄信,在为政者非常优秀时可达成极为强力的统一,虽可发挥其长处,但为政者一旦出现错误,就有很大的危险性,并暴露其短处。
在“国民总蹶起大会”的名义下经常策划许多国民大会,虽然经常往来,但为政者与国民的生活已完全脱节的今日,一点效用都没有。
在我记忆中,初次感受国民大会真正具有激发国民精神的力量,大概只有在昭和十四(一九三九)年夏季,在大阪市所举办的反英国民大会。
工作不顺:今天装填强棉,很难装。
……手很痛,又沾到酸液,真惨……伍代又只会挑剔令人不快,让我几乎想要明天干脆请假。
工作既不有趣,又不快乐,真令我想反问到底是为谁而做?
一点意义都没有!
我觉得之后干脆请假算了。
如果是我认为值得的事情,再怎么辛苦,甚至赌上生命都在所不惜。
罐子前面都歪了,很难装填,手指被割破了很痛。
不过戴着防毒面具,所以不用担心脸和呼吸。
工作完毕应该用小苏打水漱口,但这里却完全没准备。
工员不足:而今天朝会时山田上尉表示因工员不足,第四硝化班完成后的明年03月必须确保大批的工员。
且学生03月将离开工厂,加上若工员入营、应召出征者仍多,因此他说,如这近邻有人希望到工厂当工员者,则请大家多多引介。
今天夜班还是很冷。
想说冬天就要到了,大家希望这次帮工最多到今年12月就结束。
但或许延到03月吧。
志愿工员与征用工:工员之中志愿而来的不能随便辞职。
但工作效率很不错。
征用来的就常常偷懒,对工作的热情与执着甚少。
让大家无法偷懒的制度……有很多工作都是被强制的。
餐点:工厂用餐……花了许多功夫,种类很多,如何做得好吃……,宿舍当局以为大家只是工员,态度就很不客气,几乎都只做煮芋头。
一点都不用心,完全只想要方便好做而已。
二高生露出马脚:工员对二高生态度变得有些冷淡,恐怕问题出在二高生。
如果采用宿舍单位,应该就不会发生这种事。
下午开始做搬运工作。
因此装填工作就必须加速。
肚子还是觉得不舒服。
三泽、秋山都很没劲,不情愿地拉着手推车,到了煮洗槽就以毫无顾忌的表情睡着了。
工藤氏是负责拉手推车的却都不做事。
很会钻漏洞。
ㄉㄚㄏㄛ(大和)这个race(种族)本来就很狡猾,总是牺牲其他民族而自己享乐。
他们将大理想当作侵略的工具,为了避免人民反叛,便以大理想教化无知的小国民。
是更加恶劣的作法。
上午降雨。
今天只凭意气吃早餐。
看到赤石组那副贪吃样,如果给他们一拳,大家应该会很爽。

【注】
【1】根据报导,当日大本营发表,敌军航空母舰所载战机约四百架次于10月10日攻击奄美大岛、冲绳岛、宫古岛等地,接着逐步接近邻近的台湾。
(〈冲绳、宫古、奄美大岛へ敌机〉,《朝日新闻》,1944年10月12日,第二一〇四〇号,版一)
【2】反英国民大会:反英运动首先于1939年07月由日本在中国的占领地开始掀起,也波及台湾。
1939年07月31日,东京市议会议员组成反英市民大会,在日比谷与赤坂发起第二次反英市民大会。
大阪之反英市民大会则于08月05日晚间举行。
(〈各地の反英运动〉,《朝日新闻》,1939年08月02日,第一九一五五号,版二)