1944年(昭和19年)08月17日
[1]学童疎開生活 05:47
勝つために、今帝都の学童たちは、北へ、西へと旅立っていく。次の日本を背負って立つ君ら学童は、01日もこの危険な大都市にとどまっていてはならない。万が一敵のめくら弾に当たって犬死にするようなことがあったら、だれが一体あすの日本を背負って立つのだ。だからこそ君たちの荷物は重要な戦争物資と同じように、急速に送られることになり、皆が力を合わせて君たちの疎開が一刻も早く完了するよう、このとおり一生懸命なのである。
山梨県の、東京中野区戦時疎開学園。ここは武田信玄の菩提寺、恵林寺である。
みんなで食べるご飯の、なんとおいしいこと。勉強も、東京と少しも変わりなく続けられています。
(授業上の会話)
午后の一時、私たちは涼しい日陰で、お手玉やお人形を相手に、みんなで仲良く遊びます。降るようなセミの声や小鳥のさえずりを聞きながら、みんなそろって楽しいお昼寝。先生や寮母さんは、私たちのよいお父さま、やさしいお母さまです。
青い海。きらめく太陽。この恵まれた環境の中に、ぼくたち疎開学童の生活がある。
疎開生活の間に、自ずと教え込まれるものは、規律と自活への訓練である。戦争に勝つまでは、みんな強く、仲良く、自分で自分を鍛えるのだ。
また、時々東京のお父さんやお母さん、あるいはお友だちに手紙を書く。
ぼくたちはここで、次の日本を担う第二の国民としての、心とからだを鍛え上げよう。
[2]決戰 満州国 03:55
内地の学徒、既に戦闘配置に付く。大東亜の興亡を双肩に担い、一途に前線の勇戦敢闘に応えんと、若き満州の学徒もまた、よくその重任を悟り、つるはしの一振り、一振りに熱き祈りを込める。
今、立たずして、いつの日にか勝利はある。握りしめるハンドルに、見つめる鉄路のかなたに、大いなる希望は輝いている。生きた学問を勤労の中に我々は見出す。勝つために、大東亜十億の民族のために。我々は満州国をアジアの兵器廠たらしめよう。
事実、兵站(へいたん)基地満州は、素晴らしい発展を続けている。塩の製造にしても、わずか数年にして、原始的生産法から、近代的大量生産へと急転換した。海岸に設けられた一大ため池から導かれる海水は、この排水溝を経て一望千里の塩田に流し込まれる。この東洋第一を誇る海水施設こそ、膨大な化学工業塩の生産を約束するものであり、近代戦の運命は、その生産量によって左右されるとさえ言われている。
見渡す限り、塩、また塩。この塩の山こそ、戦う我が共栄圏の戦力である。兵站基地、満州。建国わずか十有余年にして、早くも若き満州は、課せられた重き責務を着々と果たしつつある。その豊かな天然資源と、五族協和の建国精神、近代的な生産施設をもって。