日本ニュース 第124号

1942年(昭和17年)10月20日

[1]天皇陛下行幸 皇后陛下行啓 靖国神社臨時大祭 03:41

かしこくも天皇陛下には、靖国神社秋の臨時大祭第2日の10月16日。森厳いやまし、秋の光さわやかにさえわたる神域に鹵簿(ろぼ)を進め給い、新祭神1万5021柱をはじめ、護国の英霊に親しく御拝(ごはい)あらせられました。

この日、粛然威儀を正して、3万の遺族は陛下を迎え奉れば、陛下には特に鹵簿(ろぼ)を徐行せしめられて、御挙手の礼を給う。竜顔を咫尺(しせき)に拝し奉りて、ありがたさ極まりなく、かたじけなさに胸あふれる遺族は、ただただ感泣いたすのみでありました。

午前10時15分。かしこくも天皇陛下には神霊に御親拝あらせらる。

この日、この時、この限りなく尊い時を期して、一億民草は全国津々浦々に至るまで、敬虔な黙祷(もくとう)を忠霊に捧(ささ)げ、聖業完遂の誠を誓ったのでありました。

かくて陛下には、諸員奉送のうちに、天気ことのほか御麗しく、宮城に還幸あらせられました。

次いで皇后陛下には、同神社に行啓あそばされ、護国の英霊に御直拝あらせられましたが、遺族席の前にては、御やさしき御会釈を給い、重ね重ねのかたじけなさに遺族はひたすら感激、感泣いたしたのであります。

また、10月18日、英魂靖国の社頭に臨み給えと、我が陸軍が鹵獲(ろかく)したアメリカ、イギリス軍の優秀飛行機、翼を連ねて忠霊を慰めました。空の要塞とアメリカが誇ったボーイングB17超重爆を、忠魂莞爾(かんじ)として眺め給いしか。帝都の空に心ゆくばかり慰霊飛行を行ったのち、鹵獲(ろかく)飛行機は羽田に着陸。ダグラス爆撃機。地上に巨大な姿を並べる敵機を眺めては、いまさらの如(ごと)く大いなる戦果に感嘆するとともに、ますます敵軍撃滅の戦いの重大さがしのばれるのであります。

[2]稔りの秋 01:55

肥料と労力の不足を征服して、今ぞ瑞穂の国に訪れた稔りの秋。猫の手も借りたい刈り入れ時に、特に許されて帰った兵隊さんの朗らかな協力の姿。

ここは米の国、新潟県西蒲原郡。老いも若きも男も女もみんな総出で、食糧増産への一筋道に見事あがった勝鬨(かちどき)の稔り。

この西蒲原郡は、支那事変勃発このかた、あらゆる悪条件を抑えて、今年までに平均反当たり4斗6升6合の増収を示し、その率は全国第一の成績を収めた。しかしこの影には不屈の皇国農民魂が脈々と動いていた。脱穀に見るごとく、労力不足は共同経営で補い、肥料の不足は自給肥料の増産を目指し、全耕地に反当たりたい肥400貫以上を施したという。そして若き男女2000余りが「心身農道」と名付ける農民道場に、自らを鍛え、神仏に祈願を込めては働いた。

御国安かれ、と護国の豊じょうを祈る農民の心は皆一つ。さればこそ、この秋はまれにみる増産が訪れた。この心を我等(われら)の心とし、一粒への感謝に満ちた生活を送らねばならない。

[3]南方にあがる 軍陣医学の勝利 02:37

南の熱病、デング熱撲滅へ。我が軍陣医学は前進する。

向かうところ敵なき皇軍の勇士を悩まし続けたデング熱も、今は優れた我が医学人の前にその正体が明らかにされました。

病原菌の培養は卵が最も適当で、半分ふ化された卵に患者の血液を注射する。

10日の后、この卵を割れば立派に病原菌が養われています。

こうして我が軍陣医学は、ついに世界に先んじて、デング熱菌の培養分離に成功し、今では予防ワクチンの試作にまで進んでいます。

戦いが終わると直ちに開かれたここビルマ研究所で、続々実を結ぶ研究の成果は直ちに街頭に進出、あらゆる伝染病から平和な民衆を救っています。

皇軍の情けある計らいに、ビルマ人、インド人の医者たちも進んで協力。衛生思想の啓蒙に、あるいは予防注射に、尊い汗の奉仕をしています。

衛生設備の行き届かぬ南方の各地も、我が医学の前進によっていよいよ明朗の度を加え、赫々(かくかく)たる皇軍の戦果に並んで、我が軍陣医学も高らかに凱歌(がいか)を挙げていきます。

[4]中国国慶日 双十節式典 01:57

時あたかも大東亜戦争下、ひとしお意義深き双十節を迎えた国民政府では、10月10日、中国革命の父、孫文の像映える大霊堂に盛大な記念式典を挙行しました。

汪主席立って一場の演説を試み、「新中国建設、孫文の偉業達成の道はただ一つ、盟邦日本に協力、大東亜解放の大業完遂あるのみ」と力強く所信を披瀝(ひれき)しました。

続いて新中国国軍の偉容を示す閲兵式は、秋晴れの南京小栄練兵場に堂々と繰り広げられました。

新中国国軍の発展を心から願い、我が国より譲渡された、軽戦車、飛行機は青天白日の印も鮮やかにこの分列式に参加。空陸一体の盛儀は伸びゆく中華民国のたくましい姿を余すところなく示しました。