1942年(昭和17年)9月23日
[1]満洲国 建国十周年式典 06:33
世界の新しき秩序を打ち立てたる戦い満州事変に次いで、産声高らかに満洲国が生まれてからここに10年。09月15日、かしこくも皇帝陛下の御臨を仰ぎ奉り、新京南嶺(なんれい)の広場に建国十周年を祝う曠古の式典が、いと厳かに執り行われました。
「おおみ光、天地(あめつち)に満ち、帝徳は高く尊し、とよさかの萬寿ことほぎ、あまつ御わざ、仰ぎ奉らん」(満洲国国家)
逞しき建設のうちに王道の光溢れ、五族協和の喜びは全満に満ちて、まこと楽土の名に相応しく、この日特にさし許されて帝徳行府に集う日満支官民代表はもとより、盟邦各国の外国使臣、いずれも粛然たるうちに歓喜自ずからみなぎるのでありました。
肉を削ぎ、骨を削り、今日の楽土建設に粉骨砕身した建国の重臣、張国務総理は感激に打ち震えつつ御座御前に参進、恭しく建国10周年を寿ぎ奉る。かしこくも皇帝陛下には、御声も朗々とありがたき勅語を下し給う。
やがて、若く逞しい成長を祝して千数百羽の鳩は放たれ、国作りの固めいよいよ固きを全世界に誇らかに示すが如く天空に舞えば、折から十の文字を描いて、式場上空には満洲国国軍飛行隊がこれに和すのでありました。
遙かなる新京の盛儀に呼応して、同じ15日、東京において、かしこくも高松宮殿下の台臨(たいりん)を仰ぎ奉り、満洲建国十周年慶祝式典が執り行われました。
慶祝会総裁東條首相は盟邦の力強き進展を祝い、次の如く語りました。
「顧みまするに昭和7年03月01日(いちじつ)、満洲国が東亜の一角に堂々建国を宣言いたしまするや、帝国は列国に率先をいたしまして、同年09月15日、これを承認。米英両国はもちろん、これに追従する諸国の執拗にして、しかも深刻なる干渉圧迫を敢然として排除いたしました。ついに国際連盟をも離脱。盟邦満洲国の独立とその健全なる発達とに協力して参った次第であります。米英の勢力を掃滅をいたしまして、大東亜に新秩序を樹立。共栄の楽土を建設すべき、大東亜戦争の遠因は、既にこのときにあったと申すべきであります。」
<李駐日満洲国大使>
「大日本帝国、天皇陛下、万歳。」
「万歳。万歳。」
<岸本東京市長>
「満洲国 皇帝陛下、万歳、万歳、万歳。」
「万歳。万歳。万歳。」
[2]満軍荒鷲部隊訪日の途へ 01:19
我が軍の懇切なる指導のもとに、僅か5カ年にして確固たる実力を培った満洲国空軍では、各将相総指揮のもとに空の精鋭を選りすぐって、9月16日国都新京を出発、翼を連ねて訪日試航の壮途に上りました。五族協和の姿はここにも見られ、日満はもとより、蒙古白系露人出身の飛行士の顔も晴れ晴れと壮挙に参加する勇ましさ。
この編隊訪問飛行は、建国以来の、惜しみなく与え、五族の幸福を期する我が国の絶大な援助に感謝し、日頃の錬磨の痕を我が日本の前に披露せんことを願ったものであります。
[3]航空日荒鷲献納式 03:45
国の守りは空の備えにあり。第3回航空日を9月20日に迎えて、民一億の心は一斉に空に凝り固まる。明けて21日、この民の赤誠を込めた報国号56機の献納式が、無敵海の荒鷲に一威力を加えるべく、東京で行われました。南に北に国民の期待を両翼に張って報国号の駆け巡るとき、イギリス·アメリカ最后のときが刻々に近づくのであります。
同じ21日、所沢の陸軍飛行場では、重爆、軽爆戦闘機、全て118機の愛国機献納式が、東條陸軍大臣臨席のもとに挙行されました。
「ここに愛国の熱誠をもって、献納せられたる飛行機を次の如く命名。」
場内を埋める人波を前に銀翼燦(さん)として輝くは、我が航空技術の粋を集めて、大東亜の大空に羽ばたく日を待ちわびた新鋭機ばかり。台風近く吹きすさぶ熱風の中に毅然たる鵬翼(ほうよく)を頼もしくも連ねている。
命名を終わるや、この日晴れの操縦桿を握る代表に心を込めた花束やお守りが、幸いに満ちた門出を飾るに相応しく美しい彩りを見せて贈られました。次いで献納機は爆音も高らかに、優れた性能を示して離陸を開始、意義深い空の祭典を閉じました。