1942年(昭和17年)07月22日
[1]大元帥陛下 海軍航空隊行幸 02:45
かしこくも大元帥陛下には7月13日、土浦海軍航空隊に行幸。親しく海鷲訓練の状況を見そなわせられました。この日陛下には、霞ヶ浦航空隊本部へ臨御(りんぎょ)の御后、土浦に向かわせ賜い、土浦航空隊司令以下、謹んでお出迎え申し上げるうちを着御(ちゃくぎょ)。練兵場において飛行科練習生の海軍体操、航空整備術、銃剣術等を天覧(てんらん)あそばされました。
次いで鹵簿(ろぼ)を再び霞ヶ浦航空隊に進め賜い、午后1時32分、陛下には飛行場に設けられた玉座に着かせ賜う。その時、連合航空隊揮下飛行隊の約300機。堂々の編隊陣を展開。叡覧(えいらん)に供し奉りました。かしこくも大元帥陛下におかせられましては、今次(こんじ)大東亜戦争にあたり、皇軍未曽有の戦果を深く御嘉尚(ごかしょう)あらせられ、このたびの行幸になったものと漏れ承りますが、聖慮(せいりょ)のほど拝するだにかしこき極みであります。
[2]広田使節 泰国訪問 02:36
大東亜戦争勃発するや、ただちに我が国と攻守同盟を結んだ泰国は、先にピア·パホン中将を同盟締結慶祝使節として我が国へ送ってきましたが、我が国からはこのほど、広田答礼使節を特派し、これに答えました。広田特使は国賓として7月12日、谷田部大使以下随員を従えジャクリ·マハー·プラサート宮殿に参入。アテイット摂政殿下をはじめ泰国摂政団に謁見。謹んで天皇陛下より泰国皇帝陛下に贈らせ賜う国書を贈呈。ここに盟邦泰国訪問の第一使命を果たしました。
終わってアテイット殿下より、同特使以下に勲章が贈与されました。
続いて同日午后、特派大使はピブン首相をその官邸に訪問、無事、大任を果たした挨拶を述べました。かくて両国は相携えて東亜共栄圏建設に協力し、長き伝統を有する両国の友好関係はますます緊密の度を加えることになりました。
[3]海鷲武勲の蔭に 02:42
木かげに、静かに、翼を休める新鋭爆撃機。ここは前線の海軍航空基地です。遠く南の海を越えて、海戦に、敵軍事拠点爆撃に、赫々(かくかく)たる勲しを立てて帰ってきた海鷲を待ち構えていた整備員たちは、ご苦労様と労わりながら、すぐに発動機の分解手入れや機械点検に取りかかります。すさまじかった戦闘に、いつしか傷んだ胴体も丁寧に補強されていきます。まもなく発動機の手入れも終わり、前にも負けない手柄を立てるようにと祈りながら心を込めて取り付けられます。もうこれで命令一下、いつでも翼を強く張って飛び出していけます。ハワイ海戦にインド洋海戦に、はたまた珊瑚海やミッドウェー海戦に、歴史始まって以来の大戦果を挙げた我が無敵航空母艦が、長い戦闘航海を終って今、基地に帰ってきました。大東亜戦争勃発して半年、思えば長い航海であった。潮に洗われ、風に吹かれて、艦の塗料もすっかりあせました。水兵さんたちは大きな艦に、せみのように止まりながら塗り替えに一生懸命です。
また、母艦の上では次の作戦に備えて、将兵が元気に体を鍛えています。
[4]江西作戦<大陸作戦> 01:10
重慶軍第3戦区を覆滅すべく、浙かん線の完全占領を目指して皇軍の諸部隊は、浙江の山野を踏み破る。山また山を踏破して、難行軍を続ける我が将兵に、折から豪雨の時を過ぎて、耐えがたい暑さが襲ってきた。しかも精鋭の意気さらに衰えず、一気果敢な攻撃に戦果は刻々に拡大されていく。
[5]蘇北作戦<大陸作戦> 01:39
揚子江の河口、蘇北地区に盤踞(ばんきょ)する新四軍。和平地区の治安撹乱(こうらん)を企てる蒋軍、今だ目覚めず、されば膺懲(ようちょう)の鉄槌を下さんと、蘇北后衛和平軍は我が部隊に協力。皇軍の指導下に決然立って殲滅(せんめつ)に赴く。新しき秩序への協力に何者が抗しえようか。敵が誇る精鋭新四軍はたちまちに蘇北から消滅されていく。
赫々(かくかく)たる戦果の挙げられていく最中に、和平軍は副師長徐承徳将軍を失った。大きな勲しをしのんで壮烈な戦死の地に碑を立て、その冥福を祈る。