日本ニュース 第97号

1942年(昭和17年)4月11日

[1]特別攻撃隊 合同海軍葬 04:28

命を捨てて益荒男(ますらお)は、真珠湾頭、敵牙城(がじょう)深く沈んで立てし勲(いさお)しは、永久(とこしえ)に一億国民の胸に刻まれて、特別攻撃隊合同海軍葬は、月こそ変われ日は同じ4月08日、海軍史上絶(た)えて久しい森厳の盛儀をもって、桜咲き匂う日比谷公園葬場に執り行われ、市民哀悼の内を粛々として柩車(きゅうしゃ)は進む。敵地遠く屍(かばね)は帰らずと言えども、九軍神の英霊は天駆けてこの春陽うららかな葬場に至り、大君(おおきみ)の御盾(みたて)、皇国の守りとして永久(とわ)に、神鎮まったのであります。嶋田海軍大臣、立って弔辞を奉読。

「弔辞。之(これ)時、昭和17年4月08日、慎みて特別攻撃隊九勇士の英霊に告ぐ。諸氏、身を軍籍に奉じてより、日夜聖旨(せいし)を奉戴(ほうたい)し、研鑽練武(けんさんれんぶ)、つねに尽忠報国の至誠を捧(ささ)げ、もっていったん緩急あらば、一死奉公の節を致さんことを期せり、昭和16年12月08日、大詔(たいしょう)ひとたび下るや、御稜威(みいつ)のもと、天佑神助(てんゆうしんじょ)を確信せる諸氏は必勝を期し、百難障害を突破して真珠湾内深く突入し、我が航空部隊の攻撃に引き続き、あるいは白昼に、あるいは太陰を待ちて肉迫襲撃を敢行し、よくこの任務を完遂せり。」

「弔銃。用意、打て。用意、打て。用意、打て。」

軍神、岩佐中佐母堂、てる刀自。

東條内閣総理大臣。

[2]杉山参謀総長 昭南島視察 01:35

輝かしい戦果に飾られた南方占領地区を視察中の参謀総長杉山大将は、3月25日、昭南島に到着。折からのスコールに洗われた飛行場に、出迎えの山下最高指揮官以下、軍官民多数と挨拶を交わした后、沿道に堵列(とれつ)する敵軍捕虜を閲兵、チャンギ要塞に向かいました。今は情けある皇軍の扱いに心より服した敵将パーシバル以下首脳部は、粛然として参謀総長の視謁を受けました。杉山大将はさらに彼我激戦の地、ブキテマ高地にたたずんで、第一線部隊長より当時の戦闘状況をつぶさに聴取。終わって我が軍指導の下に、英国打倒の決意に燃えて訓練にいそしむインド兵の実弾射撃の状況を視察しました。

[3]アンダマン諸島奇襲占領 01:27

我が陸海軍部隊は遠くインド洋上、アンダマン列島に軍を進め、東部インド·ベンガル湾の死命を制す。すなわち英国の運命を賭して、インド懐柔に狂奔しつつあるクリックスに対し、無言の回答を与えるべく3月23日、皇軍は陸海の精鋭をすぐって、突如アンダマン島ポートブレアに暁の奇襲上陸を敢行。

ユニオンジャックの威信、すでに地に落ちて、敵主力は皇軍来るの報にいち早くインドに遁走。残敵また我に抗せずして軍門にくだり、ここにアンダマン島、無血占領は滞りなく完了したのであります。人口約2万のこの島は、インド囚人の釈放地で長らく英国の圧政下に苦しんだ独立の志士をはじめ、これら住民は歓呼して皇軍を迎える、かくて南海の果てに日章旗翻るの日は来たのであります。

[4]バタアン半島総攻撃 03:40

(音声中断)敵将マッカーサーすでに逃亡して、浮き足立った米比連合軍をバタアン半島南端に追い詰めた皇軍は、なおも無益な戦いを挑む敵軍に対し、彈丸雨飛(だんがんうひ)の間をものともせず、宣伝部隊は拡声器を進め、皇軍情けの降伏勧告放送を行う。敵、頑迷にしてなおも抗戦をやめず。かくて皇軍は4月03日、神武天皇祭を期して、一斉総攻撃の火蓋を切って落とす。精鋭、世界に並び無き友軍歩兵は、戦車部隊と緊密なる協同のもと、バタアン半島の密林深く敵陣に迫る。

決死の勇士は、彼我、銃砲弾の雨をくぐり、黙々身を挺(てい)して匍匐(ほふく)前進。我が砲兵隊は正確なる砲撃に敵を制圧。見事なる協力、功を奏してここに一条の突撃路を切り開く。これは本社特派員の手になる敵前決死撮影の貴重なる記録であります。