吴新荣日记>19420330

雪芬告别式ヲ举行セリ

午前九时から金唐山善行寺に于いて雪芬の告别式を举行した。
即ち佛式であるが、在来の样式でなくして日本式であった。
来宾として绫部郡守以下数百名も参列して下れた。
式场は新调の法乐器を备へて庄严そのものであった。
吊辞として高木新街长、高本旧街长の外に、友人の中から台北石锡纯、台南黄奇珍、佳里郭水潭三君がやって下れた。
就中、后者の三君は皆真情を吐露して场众を皆泣かせた。
式は顺序よく进み、十一时过ぎに终了した。
今日最とも感激したことは、杨贵君がその长男をしてわざわざ台中から花を持【た】せて来たことである。
又式中土岐郡视学が三十数枚の吊电を读んで下れたことである。
もう一つは国分直一先生が自身わざわざ台南から花を捧げて吊问に来たことである。
先生の花は彼の研究してゐる所谓安平壶に活けて故人に捧げた。
又杨贵君の花も家藏の两大花瓶に活けて同じく故人に捧げた。
故人の灵前は今は百花燎[缭]乱であって芳香馥郁たるものがある。
即ち前记の花以外に黄深渊、王乌硈、方沁、油肥会社、徐清山、黄庚申、徐清山[吉]、天乐茶庄诸氏から生花の花环が举げてあったからである。
告别式も济んでこれで一段落になったので、夕方顷、黄大友君と共同茔地に赴きて新茔の造营状态を见て来た。
幸に台湾炼瓦の黄腾氏が非常に尽力して监督して下れてゐるので安心した。
あゝ我が妻よ、私はもう早やお前の寝棺をも见ることが出来ない。
お前の寝棺の外廓に[は]已に坚いコンクリートで固めてゐるのだ。
今晚は一寸冷气を觉えてゐるが、お前はあのコンクリートで大丈夫であらう。
お前に别れてから、今晚始めて风吕をわかして子供达を入浴させた。
その为めに亚姫子も今晚はやすやすと眠られてゐる。
あゝ我が妻よ、お前も安らかにねむれよ。
举行雪芬的告别式

上午九点在金唐山善行寺举行雪芬的告别式。
虽是佛教仪式,但和以往的方式不同,那是日本式的。
来宾为绫部郡守以下数百人参加。
会场使用新的法乐器,场面庄严肃穆。
读吊辞者高木新街长、高本旧街长之外,友人之中有台北石锡纯【1】、台南黄奇珍、佳里郭水潭三位。
后三位友人真情流露,让宾客掉了不少眼泪。
仪式按序进行,到十一点多结束。
今天最感激的是,杨贵【2】君派其长公子特地远从台中带来鲜花。
仪式中,土岐郡视学读了三十几张吊电文。
还有国分直一先生特地从台南手捧鲜花来吊问。
先生的花插在他所研究的安平壶,献给故人。
杨贵君的花也是插在家藏的两大花瓶,拿来献给故人。
故人的灵前一片花海,芳香馥郁。
除此之外,还有黄深渊、王乌硈、方沁、油肥会社、徐清山、黄庚申、徐清吉、天乐茶庄也都送来花环。
告别式也告结束,事情告一段落。
近傍晚,和黄大友【3】君一起到公共墓地看看新坟的营造状况。
好在台湾砖厂的黄腾【4】氏的尽心监督,足可放心。
啊!
我的妻,我已不能再看到你的寝棺,你的寝棺外椁已被坚固的水泥封住了。
今晚天气有点冷,你在水泥之下不知冷不冷?
与你离别后,今夜第一次为孩子洗澡,因此亚姬子今夜也睡得很舒服。
啊,我的妻,你也安祥地睡吧。

【注】
【1】石锡纯:彰化市人,石锡勋之弟。
实业家。
日本东京帝国大学农业科毕业。
曾来佳里创设“南亚制粉株式会社”。
与吴新荣交往甚密。
战后曾任延平学院最早的董事。
【2】杨贵(1905-1985):笔名杨逵,台南县新化镇人。
著名作家。
【3】黄大友(1910-
):日本名为大友一郎,日记中有时写成大友太郎。
日治时期曾任高等特务。
战后曾任台南县曾文初中下营分部主任、台南县政府督学。
【4】黄腾(?
-1957):台湾炼瓦会社佳里工场主任。
为最信赖吴新荣的病人之一。