日本ニュース 第62号

1941年(昭和16年)08月12日

[1]天災に抗して食糧確保へ邁進天災に抗して食糧確保へ邁進 02:32

<井野農林大臣>

「我が国は今、未曽有の重大な時に向かっています。我々国民は銃后の守りとして、一番大切な食糧の増産を、石にかじりついても成し遂げねばならんのであります。今や農村には増産熱が燃え上がっております。この労力や肥料の十分でない時に、一粒でも多くとるために、老いも若きもみな力を合わせて、田植え、草取り、虫退治をいたしております。」

井野農林大臣の言葉のごとく、今年は雨が多く気候不順であるにも関わらず、農村は増産に向かって懸命の努力を続けていますが、ここに恐るべきものは「稲熱病(いもち)」の発生であります。「稲熱病(いもち)」という稲の病気は、稲に対して非常な災害を与えます。農林省ではこの病気の発生を早く知るために、風に乗って散乱する「稲熱病(いもち)」の胞子を捕らえる胞子採集器を、今度初めて全国各地に設備しました。集められた胞子は農事試験場に送られ、顕微鏡によって「稲熱病(いもち)」の発生状態を早期に発見します。その結果、「稲熱病(いもち)」の被害が予想される地方ではボルドー液を散布し、これが予防に全力をあげて努めます。また、「稲熱病(いもち)」に劣らぬ災害を与えるものに「浮塵子(うんか)」があります。うんかのごとき、という形容詞もあるほど、無数に群がり集まって稲を食い荒らすので、石油を田んぼに撒(ま)いてよくかき回し、恐ろしい被害を防がなければなりません。そして「浮塵子(うんか)」の発生状態は、誘蛾灯を設けてあらかじめ知っておく必要があります。

<井野農林大臣>

「また都会の方々も、お米を作るにはこんな苦心のいることをよ-く理解していただいて、一粒でも無駄のないようにご協力をお願いいたす次第であります。」

[2]千葉浦安海岸での貝の増殖<週間話題> 00:59

これはザクザクと船につぎ込まれた無数のあさりの種付け作業。ようやく本格的な夏を迎えた8月06日の朝、農業に用いられる大型トラクターが所もあろうに千葉県浦安の浅い海の中へ下ろされました。東京から流しだされる有害物と地盤の沈降でコチコチになった海底を、引き潮を利用して耕し、きれいな海水を呼び寄せて、ここにあさりやはまぐり、海苔などを植えつけようという計画です。浦安から船橋にかけて約700町歩がその計画地。完成の暁には73万円増産の、名づけて豊国漁場が出現します。

[3]南京の移動学園<週間話題> 00:55

町の通りを流れいく鐘の音を聞きつけて、飛び出しては集まってくる南京の子どもたち。そうして町の角の涼しい木陰にいつのまにか青天井の学校ができました。椅子を小脇に抱えてここに集まってきた子どもたちは いずれも学校に行けない貧しい気の毒な子どもばかりです。この子どもたちのために中国社会事業協会がこの通り移動学園を南京だけで10作りました。二人の先生がひと組になって、学科や唱歌、体操と、一通りの事は教えてくれるのです。この楽しい学校の生徒たちは南京だけで2000人。上海その他6つの都市で、次の支那を担う若い命が一生懸命勉強しています。

[4]知多半島の鮫漁<週間話題> 00:48

真夏の朝風を切ってポンポン漁船の一隊が、愛知県知多半島の突端から太平洋に乗り出しました。この小さな漁船の一隊は、知多半島の近くに遊弋(ゆうよく)する鮫(さめ)の大群を狙っての出動です。このあたりに住む鮫(さめ)のために、今年になってから相当の犠牲者が出ましたので、その弔い合戦を兼ねて、かまぼこ、靴、がま口の原料を得ようというわけ。この日は2間半の大鮫(おおざめ)を入れて30尾(び)あまりを獲りました。

[5]陸鷲延安大空襲 01:25

大陸の空は渦巻く白雲と共に明け渡る、我が陸の荒鷲部隊、英気を蓄えてここに訪れ来たった絶好の飛行日和、8月04日の朝である。莞爾(かんじ)として愛機に乗り込んだ小川部隊長の指揮する空の精鋭、坂口、別府、濱野、石橋の各部隊は、明け渡る空に渦巻く積乱雲をついて勇躍基地を出発。目指すは抗日共産軍の首都延安。まさに一昨年の秋以来、2年ぶりにお見舞いする巨弾の急襲である。

延安上空、正確無比の我が巨弾の雨は、次々に延安場内外の軍事施設、飛行場に命中。いまやこれらを完膚なきまでに粉砕して、全機悠々、鵬翼(ほうよく)を連ねて帰還したのであった。

[6]快速部隊と渡河部隊<南仏印へ進駐完了> 02:03

南仏印に歴史的上陸を完了した我が精鋭部隊の一部は8月02日、焼けつく南国の熱風をついてカンボジアの大平原をまっしぐらに、快速自動車の列を連ねての進駐を開始。

ゆくゆく椰子の葉陰にしばしの休息を求め、昼飯をしたためます。さらに進んでカンボジアの沃野(よくや)を横断するメコンの流れを秩序整然と渡ります。かくしてこの大部隊の渡河(とか)も次々と見事に終了。息つく暇も無く隊列を整えて目的地への行進に移り、南国情緒豊かな大平原をひた走りに、落ちる夕陽のかなたへと、西へ西への進駐が続きます。かくて沿道住民の感激を集めつつ、目指す要衝に到着。ここは古くより絢爛(けんらん)豪華な文明を誇る仏印有数の旧都で、カンボジア人は初めて見る盟主日本の堂々たる威武を目の当たりにし、感激して将兵を迎えます。

[7]陸海最高指揮官西貢総督を訪問<南仏印へ進駐完了> 00:54

一方8月04日、サイゴンにおいて飯田陸軍最高指揮官は仏印側の来訪に応え、スコールをくぐってコーチシナ総督リボアール氏を公式訪問しました。また同じ日、新見海軍最高指揮官は、官邸においてリボアール総督をはじめ、仏印海軍司令官ベランジェ少将、陸軍司令官代理サベテーエ大佐の来訪を受け、皇軍進駐に関する仏印側代表の正式挨拶を受け、友好的会談を遂げました。