日本ニュース 第47号

1941年(昭和16年)04月30日

[1]大元帥陛下 親臨天長節観兵式 02:10

皇威八紘に輝く天長の佳節に際し、無窮(むきゅう)の聖寿を寿ぎ奉る大観兵式は4月29日、かしこくも大元帥陛下の行幸を仰ぎ奉り、若葉薫る代々木原頭、いとも厳かに執り行われました。

この日参加各部隊、隊伍(たいご)整然として整列すれば大元帥陛下には御愛馬「白雪」に召させられ、燦然(さんぜん)と輝く天皇旗を御先頭に粛々と皇軍精鋭の威容を見そなわせたまいました。

御閲兵を終えさせ給いし大元帥陛下には颯爽(さっそう)と御庭に立たせ給い、稲葉諸兵指揮官の指揮刀一閃(いっせん)、ここに豪快極まりなき分列式は開始。騎乗部隊の分列行進が終わるや、観兵式初参加の光栄に緊張の色もひとしお濃き少年戦車兵操縦の100余台の戦車隊は熱鉄の流れを成して御馬前を驀進(ばくしん)、その轟(とどろき)は地軸を揺るがす。

これに引き続き、各種機甲部隊も堂々と行進。多彩な軍国絵巻を繰り広げ、厳として揺るがぬ皇軍の偉容を中外に宣揚しました。

[2]畏くも天皇陛下英霊に御親拝 01:30

尽忠の英魂14976柱を祀(まつ)る靖国神社春の臨時大祭は4月24日から執り行われましたが、かしこくも天皇陛下には25日、親しく聖駕(せいが)を同神社に進め給い、神霊に御拝あらせられました。

この日陛下には午前10時宮城を御出門、略式自動車鹵簿(ろぼ)にて行幸あらせられ、遺族席前の参道では特に鹵簿(ろぼ)を徐行せしめられて遺族の奉拝に御会釈を賜り、御仁慈のほどありがたき極みでありました。

午前10時15分、かしこくも天皇陛下には親しく御拝あらせられ、この時刻を期して一億同胞等しく靖国の英霊に対し敬虔なる黙祷(もくとう)を捧(ささ)げました。

[3]農村へ吹込む翼賛運動 静岡の巡回映写·宮崎での活躍 02:19

映画を通じて変転極まりない世界情勢をはじめ、新しい日本の使命を伝え、文化の向上と大政翼賛の真意を徹底させるため、大政翼賛会では巡回映写班を組織。全国各地へそれぞれ派遣していますが、あまり映画を見たことのない僻地(へきち)の人々は競って野天の会場につ詰め寄せ、慰安と娯楽のうちに自分たちの勤めの重大さを自覚、この有意義な催しを心から歓迎しました。

山深きここ高千穂を仰ぐ山村へ、大政翼賛推進隊の一隊が訪れて来ました。現下、農村の重大性を身を以て体験し、多くの農村の人々に近づいて農業報国の誠をいたそうと、全国を巡る推進隊の活躍のひとつです。

美しき共同によって労力不足を補い、打ち振るうひと鍬(くわ)ひと鋤(すき)に愛国の心を込めて男も女もともに働くこの意気、この力。隊員は感激のうちに現下農村の重要性を語りました。

「いろいろ皆さんからご熱心なご質問などを承りまして、私としては甚だども意を強うしておる次第であります。何分、大政翼賛、臣道の実践と申しましても決して難しい、遠い所にあるものではないのでありまして、皆さんの足下にあるわけです。今の日本は非常時であることは申し上げるまでもないことであります。皆さんがたが一粒の米でも穫っていただくことがすなわち臣道の実践であり、大政の翼賛運動なんです。」

[4]浙東新作戦 04:12

明日はいよいよ敵前上陸、援蒋路完封の新作戦だ。その作戦を前にして慌てず騒がず、我が勇士たちの必勝の信念にはいささかの揺るぎもありません。将棋に、碁に、あるいは腕相撲に、旺盛(おうせい)な戦闘意識を高揚する者あり、故郷への便りに明日の勇戦を誓う者あり、いずれも悠々たる戦前の態度です。

この時、船中に幸先よくも子馬が生まれ、敵には強い我が勇士も愛らしい子馬の前では相好を崩して大喜び。和やかな戦前のひとときです。

明くれば4月19日午前3時を期して、我が楠本、大橋の両部隊はじめ、陸の精鋭各部隊は頑強な敵の抵抗を排除しつつ、浙江省沿岸の要衝、鎮海、石浦、海門、温州付近に奇襲上陸を敢行しました。

空からする我が荒鷲の援護に応えながら海軍陸戦隊も上陸を決行。陸海軍の緊密な共同の下にたちまち頑敵を撃破して各部隊一斉に猛進撃。敵はこの奇襲に狼狽(ろうばい)、民家に火を放って潰走(かいそう)しました。

かくて20日正午には大橋部隊が早くも浙江省の中枢部寧波の北東端に到達。揚江の敵前渡河も見事に成功。ついに寧波を陥れ、同日午后には感激の入城式が行われました。

この浙東作戦に呼応した福州攻略のビントウ作戦を加え、今次中南支一帯の遮断作戦は、援蒋輸血路を完封し、重慶政権はもちろん敵側民衆および第三国に対しても対外依存の無意味なることを認識させんとするもので、その反省を促すところ大なるものであります。