吴新荣日记>19410322

昨夕、独りで王乌硈先生の上京を见送るべく台南に赴いた。
台南に着くと、王宅を访ねて先生と少らくの别れに色々なことを语った。
家庭の事や医事会の事や街庄の事や等……それから药屋へ行って用事を[が]济んだ后、黄百禄君を访ねてから一绪に出ることになった。
先づ天乐茶庄に黄平坚君を访ねて、その营业振りを见た后、翁朝喜君も来合せたので二、三个所を饮み步いた。
やがて时间が来たので彼等と别れて驿に赴いた。
驿には王先生を见送るべき[く]多くの知人──方沁、苏丁受、织田、黄荣老诸氏の外に多数あった。
王先生はあれから台南医院、台北医院等数个所、目の治疗を受けたが、皆最良の结局を得られなかった。
今度は东京へ行って最高权威を访ねて、而る后尚全治不可能だったらあきらめると云った。
王先生を见送った后、黄荣老君と町をぶらぶらして旅馆を求めたが、皆满员だった。
竞马と中等学校の受验期である为めとは云へ、实にがっかりした。
今迄心易く宿ってゐた奇珍宅は主人不在だし、王宅はお客がをるし、昭癸の所は键がかけ[かっ]てゐた。
已むなく郑明宏氏の门をたたいて一晚の宿を乞ふたが、丁度彼氏は病气で休んでゐるので、又がっかりした。
それでも亲切に一ベットを空して下れたが、彼の看病で一睡も出来なかった。
昨夕,一个人到台南,为要上京的王乌硈先生送行。
先到王宅,为短暂的离别,谈些相关话题,诸如家务、医事会及街庄事务等。
之后到药店办些事,再去拜访黄百禄君,然后一起外出。
先到天乐茶庄看黄平坚【1】君,了解一些营业状况,翁朝喜君也来了,就一起出去,走了两三家店喝几杯,分手后赶到火车站,已有许多友人来送行──方沁氏、苏丁受【2】、织田、黄荣老【3】之外还有几个人。
之前,王先生在台南医院、台北医院等几个地方,接受过眼睛的治疗,可是一直未见好转。
他说此次到东京去寻访权威医师,再不行的话,就只好放弃了。
送别之后,和黄荣老君漫步街头找旅馆,都是客满。
说是因为赛马和中学考试期间的关系,实在令人失望。
虽然到目前为止,奇珍宅都是很方便住宿之处,可是正好主人不在家,又加上王宅已有客人,而昭癸的地方是大门深锁。
不得已只好到郑明宏氏家敲门求宿,他则因病休息不方便,但还是很亲切地空出一床给我。
但为了照顾他的病情,一夜未曾瞌眼。

【注】
【1】黄平坚(1911-?
):台南县西港乡人,盐分地带的文学同仁,曾加入台湾文艺联盟佳里支部。
日治时期警防团干部。
曾与庄松林、王永河创立台南木桶株式会社,又与庄松林及颜水龙创设台湾生活工艺研究所。
晚年时常返乡参加“南鲲鯓台语文学营”及“盐分地带文学营”,并参加王昶雄主持之“益壮会”多年。
【2】苏丁受(1904-2006):高雄市人。
1926年台北帝大毕业,日本福冈医科大学毕业。
台南市开业心脏内科医师。
曾任台南市参议会参议员。
曾是台南市人瑞。
【3】黄荣老:台南县人。
国民学校毕业。
曾任嘉南大圳委员、专员、北门分会主任。
战后当选台南县议员。