日本ニュース 第39号

1941年(昭和16年)03月04日

[1]支那派遣軍総司令官更迭 01:14

時局の新段階に即応して、軍体制の強化を目指す陸軍の3月定期異動は、1日付けで発令。西尾大将に代わって支那派遣軍総司令官となった畑俊六大将は事変処理の決意も固く、同日晴れの親補(しんぽ)式に参内いたしました。

大陸にあること1年6か月、赫々(かくかく)たる武勲を后に、今回軍事参議官に親補された西尾寿造大将はこれより先、軍状視察の為、空路·北支那に飛び、2月21日、北京の陸軍病院を訪問。親しく白衣の勇士を慰問、激励いたしました。

[2]極寒の黄海に封鎖隊の活躍 01:38

広漠たる支那大陸の海岸線を封鎖し、援蒋ルート遮断に昼夜をわかたず活躍する海軍部隊の労苦はその仕事が地味であればあるだけ、誠に涙ぐましいものがあります。これは寒風肌(はだえ)をつんざく、北支那黄海の荒波を蹴(け)って、大陸封鎖に寧日(ねいじつ)無き我が艦艇の活躍。

怒濤(どとう)はさすがの艦艇を木の葉のごとく弄(もてあそ)び、海の強者(つわもの)は波濤(はとう)を浴びて、水平線の彼方を凝視して密輸船を監視。

ひと度、眼鏡にあやしきジャンクを捕らえれば、直ちにこれに停戦を命じ、船内くまなく検索、黙々として重大任務遂行に邁進(まいしん)しているのであります。

[3]米共和党大統領候補、英首相と会見<週間話題> 00:32

アメリカ大統領選挙戦に敗れたウイルキー氏はこの程、空路大西洋を翔破(しょうは)。全英帝国の運命を双肩に苦闘を続けるチャーチル首相を官邸に訪問。ルーズベルト大統領の親書を手渡して、対英援助強化について懇談。まさに崩れんとする旧秩序を守るべく、英米の交渉、頻々(ひんぴん)たるものがあります。

[4]大阪府警察部の伝書鳩訓練<週間話題> 00:42

平和のシンボル·鳩(はと)も時局に一役買って、去る2月25日、大阪府警察部主催の伝書鳩訓練に出動。阪神地方を襲った台風は通信機関を破壊して、その被害状況を知らせるに術無しとの想定、この時自転車を飛ばせた警官はあらかじめ配備した鳩に託してその被害状況を報告しました。

鳩は1分1kmの速度を完全に突破して、立派に任務を果たし本部に到着しました。

待機中の神選組は時を移さず出動して各部署に就き、見事な成績を収めました。

[5]米ダグラス重爆機の組立作業<週間話題> 00:30

イギリス援助に狂奔しつつあるアメリカは、自国の国防強化にも積極的に乗り出し、空軍の充実に大わらわであります。これは、陸軍当局が先ごろから、カリフォルニア州サンタモニカの飛行機工場で、極秘裏に製造中のダグラス型。総重量70トンの長距離超重爆撃機で馬力8千馬力、翼の全長212フィート、航続距離7000マイルといわれ、アメリカからヨーロッパへ優に往復できるわけであります。

[6]岡崎市の児童運動器具自作<週間話題> 00:55

世の中に自給自足のできるくらい、嬉しくも力強いことはないでしょう。愛知県岡崎市の郊外、山中村小学校の児童たちは先生の指導の下に村有林へ出かけ、のこぎり、おのを振りかざして、木を切り倒し、幼き協力によって、大きな威力を発揮しています。切り倒した木の運搬も一切大人の手を借りず、自らの尊い汗を流します。

校庭に運ばれた木材は彼らの手によって、製材はもちろん、組み立てまで力を合わせて、登木(とうぼく)、肋木(ろくぼく)、流動円木(りゅうどうえんぼく)等の運動器具をこしらえ、本職の大工さんも顔負けの立派な設備を完成。自分で作った頑丈な運動具に安心して存分に次代の体力を鍛えています。このほほえましい自給自足は、一面集団的訓練にも役立ち、注目されています。

[7]荒天泥濘を征く鉄の快速部隊 01:39

南昌東方約24km、ハ陽湖付近に蠢動(しゅんどう)する敵3000を殲滅(せんめつ)すべく、突如行動を開始した皇軍の精鋭は、2月18日未明、敢然湖水を渡って進撃。折から待機中のタナカ、タガワ、トリス、オサムラの各部隊は奇襲、敵の正面より鉄牛快速部隊を先頭に追撃戦を展開。この時、夜来(やらい)の雨は上がったとはいえ、辺りはただ泥濘(でいねい)、ひざを没する悪路。無限軌道は半ば泥の中に食い込み、労苦の進撃を続けました。

(進軍の様子)

これに呼応して我が砲兵部隊もまた、一面泥海と化した新戦場を前進また前進して、敵を東方に圧迫し、人馬泥まみれの追撃。ここに各部隊緊密な協力の元に爽快(そうかい)なる殲滅(せんめつ)戦の火蓋(ひぶた)が切られました。

(砲撃の様子)

(進軍の様子)(砲撃の様子)

[8]新四軍の牙城東台攻略戦 02:18

江蘇省北部に盤踞(ばんきょ)する敵3万の撃滅戦を展開した我が精鋭部隊は、諸在の敵を蹴(け)散らしつつ三方面より敵本陣に侵攻。すでに興化を陥れたムラタ、キド、ノダ、シバタ、イシイの各部隊は興化北方の湖水を敵前渡河、東台県城を目指して、怒濤(どとう)のごとく殺到しました。

敵の猛射を冒して我が工兵隊は敢然クリークに挺身(ていしん)、応急の橋を作ってこれを支えれば、歩兵部隊また決死。銃をかざして続々と対岸に殺到。

かくて対岸に強行渡河した勇士たちは地に伏し小山を盾に、じりじりと敵陣に肉迫。援護の砲声は、殷々(いんいん)として山野にこだまして、壮絶無比。敵弾雨飛の中を勇躍敵陣に迫った各部隊はひとまず塹壕(ざんごう)に身を避けて、突撃の命令を待つ。機いよいよ熟すと見れば、各部隊一斉に塹壕(ざんごう)を飛び出し、壮烈なる突撃戦を展開。

かくて2月22日朝まだき、蘇北新四軍の巣窟(そうくつ)たる東台県城に日章旗は翩翻(へんぽん)と翻りました。