日本ニュース 第38号

1941年(昭和16年)2月25日

[1]凱歌高し新黄河殱滅戦 01:50

新黄河本流、沙河(さか)沿岸の殲滅(せんめつ)戦はいよいよ、その包囲陣を圧縮。我が軍は太和攻略の余勢をかって、敗走の何柱国軍に壮烈なる最后の総攻撃を開始。我が猛撃にさすがの敵の堅陣もみるみる潰(つい)え始め、皇軍はたちまち大胆不敵の敵前渡河を敢行。

(戦闘の様子)

逃ぐるを追って進撃急追数時間、ついに敵の本城に殺到して、城塔高く日章旗を翻し、輝く大殲滅(せんめつ)戦の幕を閉じました。

(戦闘の様子)

[2]大角大将等 合同海軍葬 01:57

去る5日、南支·黄揚山に壮烈な殉職(じゅんしょく)を遂げた我が海の至宝(しほう)、大角海軍大将ら10柱の合同海軍葬儀は、2月20日東京築地本願寺において、悲しくもまた厳かに執り行われました。式場、かしこきあたりより御下賜の幣帛(へいはく)御供物にひとしおの余栄を加え、勅使御遣いの御差遣(ごさけん)に故人の光栄ここに極まる。

及川海軍大臣は帝国海軍を代表する切々胸に迫る弔辞を朗読して、痛恨の私情を披瀝(ひれき)。ついで海軍軍楽隊の哀切の奏楽の内に、故大角大将長女、紀子さんはじめ、遺族そのほか次々に悲しみの歩みを霊前に運ぶ。

折から、本堂前に整列の海軍儀仗(ぎじょう)隊は、英霊永久(とこしえ)に安かれと3発の弔銃を発射。

最后に内外の顕官、数百名の焼香あり。故人の遺訓をしのぶにふさわしき悲しみの盛儀でありました。

[3]戦時下農村の冬季生産生活 01:47

国家総力戦に協力して雪の東北農村もまた涙ぐましい生産活動に精進しております。ここは秋田県西滝沢、農民は肥料不足を補うため、馬そりを利用して堆肥(たいひ)をそれぞれの田畑に運び出し、雪をかき分けて積み上げ、春とともに一斉にこれを配分する用意を終わりました。

一方、飯塚の共同作業場では農閑期を利用して、むしろ織り、縄ない等に女子部隊も総動員です。500戸の農家から生産される総額は、かます、むしろだけで80万枚、10余万円に上っています。

また、花館の農事試験場では農作物の改良増殖と凶作防止の試験研究に、真剣な努力を続け、その大温室では冬の間も休まず稲の品種改良の人工栽培が行われ、東北特有の冷害に耐える新しい稲を生み出すことに成功。優良品種は遠く朝鮮、九州方面にも普及しております。

成熟した稲穂は実験室で、詳細に科学的検討を加え、米の増産に目覚ましい功績を収めつつあります。

[4]台北の産米視察<週間話題> 00:29

長谷川総督自ら出馬しての台湾の産米報国運動。02月20日、すでに第1期米の耕作が始まろうとする台北郊外において、総督は親しくその状況を視察して、本島人を激励。一同は感激して蓬莱米(ほうらいまい)の増産に拍車を加えることを誓いました。

[5]福岡鉱山で坑夫表彰式<週間話題> 00:28

石炭増産に邁進(まいしん)する鶴嘴(つるはし)部隊の名誉をたたえる、福岡鉱山監督局管内の労務者表彰式は2月21日、福岡商工会議所で挙行。管内20数万人のうちから選ばれた誉れの戦士350名は、今日を晴れと面を輝かし、66鉱山各代表にそれぞれ表彰状、記念品が授与されました。

[6]生駒山で耐寒マラソン<週間話題> 00:31

大阪産業報国協会主催の耐寒競歩大会は、23日まず壮青少年組が、大阪大手前をスタート。女子組は布施高井田をスタート。1組10名53組530名の素人戦士は銃后厚生運動の息も高く、生駒山頂目指して走る歩くの白熱戦を演じました。この結果17kmの難路を見事征服。岸和田組が132点で優勝しました。

[7]国鉄科学の勝利凍炭輸送新対策 02:02

春なお遠き、北海道の寒さはことのほか厳しく、列車もこの通り凍りついて、鉄道運輸に毎年非常な困難を重ねております。特に貨車に積んだ石炭がすっかり凍りついてしまい、その積み替えに貴重な労力を費やさねばなりません。これが対策を研究中であった鉄道当局では見事にこれを解決。貨車をまずそのまま引き入れて覆いをかけ、蒸気で車両もろとも蒸し焼きにする、我が国独特の方法を完成、すばらしい成績を上げております。

300度近くの高熱で温められた貨車は、さらに次の作業場に送られてゆきます。

ここではガーダンバーという大きな転覆機に入れられ、貨車のまま回転して積み込みの石炭を空けます。

空けられた石炭はコンベアーでどんどんと運ばれ、最后に波止場の輸送船へ自動的に積み込まれます。