吴新荣日记>19401223

昨夕、往诊の序でに将军の本家へ归って见た。
丁度冬至の节句で母は祖先に供物を上げる为めに归って来てゐた。
どうせ患者が少ないので、母と少し色々な事を语った。
家族は皆外に出てゐるので、节句に若しくも[は]忌日ごとに归って祖先に供养することは不便である。
一层春秋两季に分けて全家族揃って归った方がよほど意义がある。
即ち春秋两季の皇灵祭と同じ日にやったら如何にいいか分からないことを话した。
次に本成叔の不真面(目)及その没落の见透し、それからその亲族としての迷惑を语ったが、国卿の将来を思い合せて二人とも悲しく思った。
今度、彼は父と南京から归って来るだらうが、若しも“原性不改”であったら、吾々父兄としても处置するに困るだらう。
この家族的の悲观若しくは困难を[が]心に渗みながら自分は邻家へ行って患者を见なければならなかった。
あゝ、何んと我が家ばかりではない、この村が病んでゐるのではないか。
家は倾き、人间は饥ゆてゐる。
自分は凡ゆる名誉も凡ゆる野望も我が家の、我が村の幸福や建设に资するには余りに空虚であり无意味である。
この大きな恼みを以て自分は佳里に归って来た。
今夕台南では黄百禄君を中心にして旭翠寮会の忘年会があった。
自分の恼みはこの忘年会で忘れさせようとは思はなかった。
然し年に一回の友交は温めなければな(らな)かった。
妻は自分の度々の下南を强く反对したが、やさしく引き止めては下れなかった。
自分も反发的に行って见たが、案外に盛况だった。
会场の宝美楼に集ったものは黄百禄、石锡纯、林耳、黄明富、王文滔、何锦涂等の常连の他に、王廷义、黄奇拔两君も加ってゐた。
王廷义君とは东京で别れてから实に十ヵ年の长さである。
それで大に饮んでから皆と别れて黄百禄君の宅に归って休んだ。
今朝起きて早々御饭を少し食べてから佳里に归ってきた。
午后三时、公会堂の新郡守披露会に临んだ。
その余势で黄庚申君と森甚太郎氏と乐春楼で饮んだ。
村田卫生系、山本会计系、中村户口系、助川高等系、朝仓司法系等と富士阁で饮んだ。
昨夕,趁外诊之便,回将军老家看看,时值冬至,母亲也回来准备供物祭拜祖先。
反正患者不多,坐下来跟母亲好好地聊了一阵子。
我跟母亲说:家族都在外居住,节日、忌日都得赶回老家准备供物祭拜,真不方便。
不如分为春秋两季,全家回来拜祭,显得更有意义。
也就是与春秋两季的皇灵祭【1】同一天来祭拜,一举两得,以为如何?
其次,又谈到本成叔的差劲,看透了他的没落,以及与他做亲戚的麻烦困扰,再想到国卿的未来,两人不禁感到一丝的悲哀。
不知这次会不会和父亲一起回来,如果仍然“原性不改”,做为父兄的,真是伤脑筋。
一边对家族感到悲观,深觉内心的难题,也一边到左邻右舍,看看患者的情形。
啊!
不仅是我家,整个村子都病了。
家屋倾斜,村人饥饿。
我所有的名誉,所有的野心,对我的家及家乡的幸福或建设,既不能助益,也无意义。
带着这么大的苦恼,我一路返回佳里。
今夕,在台南以黄百禄君为中心,举办旭翠寮会的忘年会。
我不以为这场忘年会能让我忘却烦恼,但一年一度的朋友之情,非重温不可。
妻对我频频到台南一事,强烈的不满,从不曾温和地制止我。
为了反弹,还是要去。
到了会场,盛况空前,在宝美楼的与会者有黄百禄、石锡纯、林耳、黄明富、王文滔、何锦涂等熟面孔之外,还有王廷义、黄奇拔两位也参加了。
和王廷义在东京分别后至今已有十年之久未曾谋面。
畅饮之后,大家彼此道别。
我到黄百禄君家休息。
今晨早起,匆匆吃了早餐,赶回佳里。
下午三点,参加在公会堂举办的新郡守披露会,趁着余兴,和黄庚申、森甚太郎氏到乐春楼喝酒。
再与村田卫生系、山本会计系、中村户口系、助川高等系、朝仓司法系等到富士阁又喝了一摊。

【注】
【1】皇灵祭:分春秋两次。
在日本统治台湾时期有许多“祝祭日”,其中主要的节日都是围绕神道和天皇而制定的。