吴新荣日记>19400921

昨晚、黄大友君と二人で甲本繁二郎老を访ねて防卫团组织に就いて打合せをなした。
即ち佳里を郡役所北の埤圳水道と本通りを界にして北分团、东分团、西分团に分けた。
それで我が西分团は甲本老を分团长にして次の如く意见一致した。
班别
班长
副班长
诘所
警报班
黄大友
黄樱田
黄深渊宅
防火班
高石城
陈炳琳
第三集合所
防毒班
吴新荣
徐清吉
酒仲卖所
尚分团本部を金唐殿にしたらこの阵营は他の分团と比べてヒケを取らないだらう。
この打合会から归って来たら、河崎又一氏、陈其和君、徐清吉君等が来て围棋をしてゐた。
围棋を二局位やって、自分は今朝の二时迄长い间たまってゐた手纸等を书いた。
南京の国卿へは家状を知らせてやった。
东京の寿山へは学资を送ってやった。
台南の寿坤へは勉强せよと励んでやった。
奇珍兄へは违约を责めてやった。
昭川兄へは药局生借用を申迂んだ。
午后、佳里渔业组合の区域整理の为めに、自分の持分を萧垄信用组合に持って行く为めに、父の不在中にあの古い金库を开けて见た。
この锈だらけの金库も曾ては一土着のブルジョアの财产を一杯蓄めてゐたであらう。
然し今は只小さい木箱の中に十数通の登记济证のみを发见し得ることは感慨无量である。
然しその上に吾々の目を惊かしたのは赤い毛布に书いた光绪年间の字である。
立卖蛤蟆字人麻豆西保洲北
场谢杂因生一子第三子唤名财
寿今因父亲小安应用银项愿将
此子托中引就卖与安定里西保
将军庄吴玉瓒为子三面言议着
下身聘礼佛银壹佰大员正其银
即日同中见交收足讫而将财寿
子随附玉瓒抱过养饲日后长成
生子接吴家宗枝与他人等无干
或是祖魂不愿杂自出头抵当
不干瓒之事口恐无凭今欲有凭
立卖蛤蟆甘愿字一幅付执永
远存照
即日同中媒见交收过聘礼
银壹佰大员完足再照
知见人妻陈氏(指印)
为中媒人陈成⊙
才[擦]⊙
大清光绪贰拾壹年08月日立蛤蟆
字人
谢杂(指印)
代书人陈盆○
この中に多くの误字があることを认めるが、我が父亲は金百圆で里子に卖られたことは确かだ。
然し怀かしい父亲の乳名“财寿”や祖父の名“杂”と分って嬉しいとも云へる。
いづれにしてもこの红い毛布は我が家史の最とも古き记念品でなければならない。
昨晚,和黄大友君去拜访甲本繁二郎老,协议防卫团组织一事,提议将郡役所北方的埤圳水道和大马路为界,分为北分团、东分团、西分团。
而我方的西分团则以甲本老担任分团长。
取得一致意见如下:
班别
班长
副班长
诘所【1】
警报班
黄大友
黄樱田
黄深渊宅
防火班
高石城
陈炳琳
第三集合所
防毒班
吴新荣
徐清吉
酒配销所
又将分团本部设在金唐殿,则我方与其他分团相较,绝不逊色。
回家后,河崎又一氏、陈其和君、徐清吉君等已在家中下围棋,下了两局后,把长期拖延下来应写的信,一直写到深夜两点。
写给南京的国卿,告知家中的近况;
给东京的寿山寄学费;
写给台南的寿坤,勉励他努力学习;
写给奇珍兄,责备他的违约;
写给昭川兄,商借药局生一名。
下午,因为佳里渔业组合要做区域整理,要将我所持股份,送到萧垄信用组合。
父亲不在家,我就打开了已生锈的金库找找看。
这个生锈的老金库,以前曾是一个土豪所有,也曾装满过他的财产,如今装的只是个小木箱,其中装着十数份的登记证而已,令人无限感慨。
然而令人触目惊心的是,红布上所写的光绪年间的字:
立卖蛤蟆字人麻豆西保洲北
场谢杂因生一子第三子唤名财
寿今因父亲小安应用银项愿将
此子托中引就卖与安定里西保
将军庄吴玉瓒为子三面言议着
下身聘礼佛银壹佰大员正其银
即日同中见交收足讫而将财寿
子随附玉瓒抱过养饲日后长成
生子接吴家宗枝与他人等无干
或是祖魂不愿杂自出头抵当
不干瓒之事口恐无凭今欲有凭
立卖蛤蟆甘愿字一幅付执永
远存照
即日同中媒见交收过聘礼
银壹佰大员完足再照
知见人妻陈氏(指印)
为中媒人陈成⊙
才[擦]⊙
大清光绪贰拾壹年08月日立蛤蟆
字人
谢杂(指印)
代书人陈盆○
这其中可认出很多的错字。
不过,这份文件也证实了我父亲是以金一百圆,被买过来当养子。
而且很高兴知道父亲的的乳名是“财寿”,祖父的名叫“杂”。
不管如何,这一块红布是我的家史中,最古老的纪念文物。

【注】
【1】诘所:日语。
集会所。