吴新荣日记>19400827

昨夕四时から街役场の楼上で协议会员の恳谈会があった。
公学校が新校舍に移转终了したので旧校地の处分に就いて相谈すると云ふのである。
信用组合に卖って债权を相杀しようとしたが、组合には生产的价值がないと云ふので赞成しなかった。
それでやはり街の所有になって、将来は市场にすることに决めた。
现在の校舍は一部は家政女学校に当て、一部は信用组合に借し、一部は改造して街营店铺にすることになった。
恳谈后、例の如く富士阁で恳亲会を开いた。
ビールがないのでウイスキの势いに乘じて二次会へ行くことになった。
集った者は青年派は郭水潭、徐清吉、黄庚申、林枪、许先景诸君と自分、街长派は高文瑞、周缚、陈谟、杨万福诸君であった。
この奇怪な会合が西美楼に于いて行ったが、前代未闻のことである。
自分は患者の为に中座したが、家へ归って来ると学甲の李鹿君が访ねて来た。
何んでも彼の地の料理屋で刑事问题を起した为めに、自分の仲间が数人やられたとのことだ。
それで救助する方法がないかと云ふので黄干氏、徐清吉君、王恩君等を绍介してやった。
大体工作を终ったので、乐春楼で一杯やらうと云ふので徐清吉君と一绪に行った。
例の如くエスペロをガブガブやらされるし、又天与の美食が眼前に控へて心を乐しめた。
家に归ったのはやはり今日の日付になった。
昨天下午四点,在街役场楼上举行协议会员恳谈会。
公学校已搬迁到新校舍,这个会就是要讨论旧校地的处分问题。
预想可以卖给信用组合,以抵负债。
但组合方面认为没有生产价值,不表赞同。
遂决定目前归为街之所有地,待将来再辟为市场用地。
并且决定将旧校舍的一部分,供家政女学校使用。
一部分借给信用组合,一部分改造为街营商店。
会后照例到富士阁聚餐联谊,买不到啤酒,就喝威士忌。
之后乘着酒兴到西美楼第二次续摊。
与会者有青年派的有郭水潭、徐清吉、黄庚申、林枪、许先景与我;
街长派的有高文瑞、周缚、陈谟、杨万福等。
两派人马对阵喝酒,前所未闻。
家中有患者在等着看病,只好中途离席。
回家时,学甲的李鹿【1】君来了,因他与当地的料理店发生了刑事问题,他的几个伙伴都被揍了,问我如何摆平此事,于是我就介绍黄干氏、徐清吉君、王恩君给他。
院中的工作告一段落,想喝杯酒,就和徐清吉君到乐春楼去。
照例喝“艾斯培罗”,美食当前,愉快地享用酒菜。
回到家已是凌晨。

【注】
【1】李鹿(1911-1996):字石盘,台南县学甲镇人。
早年追随林锐(吴新荣妹婿林永睦医师之父亲)从事农民运动,参加“农民组合”。
1931年与谢彰洲于北门郡学甲庄组织一班8人的“赤色救援会”,并捐款给“赤色救援会”而系狱四年。
战后228事件后,曾参与由李荣凯(即李荣楷)指挥的北门郡地下组织,因而逃亡七年。
晚年移居台东。
1954年10月9日吴新荣曾受李鹿牵连,系狱四个月余。