吴新荣日记>19400531

又续いて二、03日も雨天であった。
约半ケ年分の《日本医事新报》を读み终って、これから昨年の09月号の《中央公论》から读まうとしたが、仲々进まない。
而しこの09月号の《中央公论》に石桥丑雄が书いた〈宦官を语る〉と云ふ一节に、明の东林党に赵南星と云ふ人があることは兴味津々たるものである。
史上の人杰にして我が长男と同名たることは偶然の暗合と云ひながら、けだし我が意を得たものである。
我が子は赵南星の如き贤者にならずとも、东林党の义风を多小[少]とも持合わせて然るべきだ。
然し既往の人物と同名になると、吾々の创意もいささか权威を失することはどうすることも出来ない。
台南第二联队の卫生部队が演习の途中、佳里に泊ることになった。
町の颜役として指名され、こられ[れら]の兵士を心から欢迎と慰安をすることになった。
公会堂で宴会を催したが、これらの兵士と共に饮んだ时、何时も吾等は日本の强さはここにありと云ふ感を深くした。
开[解]散后、郭水潭君から使いが来て、陈清晓君と乐春楼で饮んでいるから来いと云はれたので、郑国津君と
一绪に行った。
やがて徐清吉、陈清汗两君も来たので、又场所を换へて富士阁へ行くことになった。
それから转々して又第一楼へ行ったが、大酒の后は只流れの如き汗と崩れの如き尿のみであった。
又连续下了两三天的雨。
约半年份的《日本医事新报》【1】已读完。
接着要读去年09月份起的《中央公论》,但进行的不顺利。
09月份的《中央公论》里,有石桥丑雄所写的〈话说宦官〉,其中一节说到明朝东林党中有一人叫做赵南星,这使我觉得很有趣。
历史上的人杰竟然与我家长男同名,虽属偶然的巧合,却深得我意。
即使吾儿将来不能如贤者赵南星,也应该学得东林党的义风。
但和既往的人物同名,我的创意也失去了原创的权威性,又奈何啊。
台南第二联队的卫生部队在演习途中,夜晚扎营佳里,街上有头有脸的人都被推举出来欢迎他们。
为了表达慰劳之意,在公会堂设宴招待。
和这些军人共饮之时,会让人感受到日本之所以强大,原因就在此。
散会后,郭水潭君派人来找我,说他和陈清晓【2】君在乐春楼等我,请我过去一趟。
于是我和郑国津君就一同前往。
不多久,徐清吉、陈清汗两位也来了,就又换到富士阁去。
之后又去第一楼。
大饮之后,只有汗如流水,尿如山洪而已。

【注】
【1】《日本医事新报》:1921年2月5日创刊,日本医事新报社发行。
原为周刊,1940年起改为旬刊。
内容以医学新知、论文、专栏、问答为主。
又,战前日本全国类似此种医学杂志甚多。
吴新荣所订阅的有《医学新报》及《日本医事新报》两种。
【2】陈清晓(1911-?
):台南县将军乡人。
台南师范学校肄业。
早年于故乡苓仔寮创设织布厂。
1940年于台南县仁德乡设立东云织布厂,为战后东帝士集团崛起的开始。