今朝、佳里へ归へらうと思ったが、昭癸兄は茔参かたがたハイキングをやらうといふので又半日游ぶことになった。
ハイキングの连中は雪芬、碧梅、碧霞三姊妹、南星、南河两兄弟(朱里は外妈と共に麻豆下营へ行った。
南图は小さいから留守番とした)の外三、四人の豪である。
先づ嘉南大圳の北干线迄行って、それに沿ふて北に进み、故岳父の茔迄参った。
そこで供物烧香してから山手に向ひ山の麓に沿ふて南下した。
恶路は妇女子を恼すに足ったが、とうとう赤山岩迄辿り着いた。
そこの主事は家内の母舅なので、お昼は精进料理の米粉を贳った。
その诚意は感谢するが、旨くはなかった。
食后、雪芬の劝めで观音样の签诗を二枚贳ったが、意味は大体一致してゐるのは又一つの奇迹である。
“问事”はこれから以后の家运と雪芬の病气の预后であった。
乙丑
云间月出正分明
不须进退问前程
婚姻皆由天注定
和合情吉万事成
注曰
功名在后
官事不畏
治病女平安
甲辰
劝君把定心莫虚
天注衣禄自有余
和合重々常吉庆
时来终遇得明珠
注曰
功名后期
官事不畏
治病平安
かくて皆は佛祖样に敬谢の意を表して、又步いて归った。
もう夕方になるから、佳里に归へ[ら]ねばならないと思って林凤营に向ったら、黄锜、翁朝喜、黄帆、李义成君に出会った。
それで一绪に台南へ行くと云ったが、自分も久し振りの交欢だと思って赞成した。
台南では先づ广升楼へ行って、序でに郭维藩、陈天赐两君をも呼び集めた。
杨荣山君は台东へ行ったと云ふが、彼もその一党で而もこの一党は案外自分と恳意な间柄ばかりであったのは不思议だ。
广升楼が终ってから招仙阁へ行った。
それから松竹、松叶へと饮み步いたが、何时の间にか黄奇珍兄、郭维钟君と会ったの(で)、晚は奇珍兄の厄介になった。
今朝打算回佳里,但昭癸兄提议去扫墓顺便旅游,因而又玩了半日。
参加郊游的有雪芬、碧梅【1】、碧霞【2】三姐妹,南星、南河两兄弟(朱里与外祖母去麻豆、下营。
南图还太小,留在家里),加上三、四个大男人。
先去嘉南大圳的北干线,而又沿线北上,抵达故岳父【3】之墓。
在此供品烧香之后,就沿山麓南下。
一路难行,恼杀妇女子,终于抵达赤山岩【4】。
这里的住持是吾妻的母舅,午餐吃了素菜料理的米粉。
感谢他的诚意,但并不好吃。
饭后,听雪芬的劝进,抽了两支观音菩萨的签诗。
内容大致相同,实属奇迹。
“问事”是预言今后的家运与雪芬的健康情形。
乙丑
云间月出正分明
不需进退问前程
婚姻皆因天注定
和合情吉万事成
注曰
功名在后
官事不畏
治病女平安
甲辰
劝君把定心莫虚
天注衣禄自有余
和合重重常吉庆
时来终遇得明珠
注曰
功名后期
官事不畏
治病保平安
大家向佛祖拜谢之后,就走路回来。
因已黄昏,故非回佳里不可,往林凤营时,遇见黄锜、翁朝喜、黄帆、李义成【5】君。
他们邀我同往台南,我因好久没跟他们叙旧,所以便答应了。
到台南,先去广升楼,顺便叫郭维藩、陈天赐【6】两人来参加。
杨荣山君去台东。
他也是他们的一党,而这一党人特别跟我要好,实属不可思议。
广升楼完了又去招仙阁【7】。
然后又回到松竹、松叶畅饮,其间遇见黄奇珍兄、郭维钟【8】兄,晚上就叨扰奇珍兄家一宿。
【注】
【1】碧梅:毛碧梅(1922-1995),台南县六甲乡人。
台南第二高女毕业。
吴新荣元配毛雪的大妹。
后适王金河医师,夫妻终生为乌脚病患者服侍,于1993年共同获颁北美洲台湾人医师协会医疗服务奖。
【2】碧霞:毛碧霞(1925-
),毛雪最小的妹妹。
适涂荣慧。
【3】岳父:毛维麟(1886-1924),台南县六甲乡人。
曾任六甲庄长。
其先祖毛士剑,为清道光年间廪生,后入祀台湾府学文庙孝子祠。
其后裔渐次昌盛,多为当地之领导人物,成为六甲望族。
【4】赤山岩:即赤山龙湖岩。
位于台南县六甲乡龙湖村。
创建于清康熙4年(1665)间,由郑氏参军陈永华所建,奉祀观音,为佛教名胜。
【5】李义成:台南县永康市人。
州立台南二中毕业。
后负笈中国,参加抗日。
曾任台湾义勇队指导员、新丰区区长。
【6】陈天赐(1904-1976):台南县将军乡青鲲鯓人。
嘉义农林学校毕业。
日治时期曾任台南州新营郡役所、将军庄役场产业技士,青鲲鯓保甲书记(村长秘书)、青山港渔业组合会长。
1951年向政府争取建设避风港,由政府出钱人民出力,建造了台湾第一座避风港“青山港”。
战后曾任台南县议员、北门区渔会理事长、将军区渔会理事长。
是吴新荣公学校的同学,亦为至友,被称“鲲鯓王”。
【7】招仙阁:位于台南市中正路上,为日治时期台湾第一大酒家。
台湾三大诗社之一的“南社”经常在此聚会,为当时欣赏艺旦表演、乐曲演奏和召开诗会的场所。
【8】郭维钟(1907-1949):台南县麻豆镇人。
台北商工学校毕业,任职于嘉南大圳组合。
“台湾文艺联盟佳里支部”会员之一。