昨晚、黄干叔に新筑の意见を求めば赞成すると云ふ。
今日、叔父が来た时も赞成すると云ふ。
晚になると、曾对君が不赞成と云ふ。
今の所、赞成者が多いが、不赞成者と云っても“一寸待て”と云ふ程度である。
だから新筑の问题は谁でも赞成するが、问题は只时机を何时にすればいいと云ふことだ。
吾々は之を二つ机会を作ることが出来る。
第一に、若しも欧洲に大战争が起る时である。
第二は、开业十周年を迎へるときである。
それで现在の为すべき仕事は、第一に、敷地の扩张、交换、制[整]备、登记等である。
第二は、设计及制图である。
これらは第一期工事とも云ふべきだ。
第二期工事は许可提出及材料购入である。
第三期工事は着工及检查である。
早くて今年末、迟くて三年后にこの事业を完成しなければならない。
この事业が完成すれば、我が一生の一大事が完了することにす[な]る。
我が一生は次の三期に分ちたいと思ふ。
第一期
学修时代
二十年代から三十年代迄二十年间。
第二期
建设时代
四十年代から五十年代迄二十年间。
(この时代には自己の家を新筑することと子弟の教育を完成する)
第三期
大成时代
六十年代から七十年代迄二十年间。
(この时代は政治的、社会的地位の获得と世界漫游とを以って完了する)
自分は已に自分の力を知ってゐる。
从ってそれ以上の野望がない。
だから、以上书いたのは悉く实际问题である。
されば我が一生の二大事业は育英事业と世界漫游である。
育英はよき子弟を养成して、自己の足らざる所を补ひ、为し得ざる所を为して贳ふのである。
世界漫游は生をこの世に受けた以上、この地球やこの宇宙の果て迄知り尽したいのである。
それが或は野望かも知らない。
晚、《台湾日日》の杨炽昌と猪头两氏が来たので郭水潭、陈培初、曾对三君と一绪に西美楼や富士阁で欢迎会を开き、大に饮んで谈笑した。
昨晚,请黄干叔提供对于新建筑的意见,他表示赞成。
今天叔父来了,也表赞成。
晚上,曾对君来了,他不赞成。
目前赞成者居多,不赞成者也不坚持,只表示等一阵子看情况再决定。
可说几乎都赞成,只是时机问题可分为二个机会,第一,如果欧洲发生大战。
第二,迎接开业十周年。
现今应先做的是,第一,建地之扩张、交换、整地、登记等工作。
第二是设计、制图。
以上是第一期工事,第二期工事是提出申请,购入建材。
第三期工事是动土开工、检查等。
快则今年末,慢则三年后必须完成,之后我一生的一大事算成就了。
我想,我的一生可分为三个时期:
第一期:学修时代:二十年代至三十年代之二十年。
第二期:建设时代:四十年代至五十年代之二十年。
(此时期为新建自己家宅,完成子弟之教育。
)
第三期:大成时代:六十年代至七十年代,二十年间。
(此时代中,获得政治上的、社会上的地位,漫游世界。
)
我深知自己有多少能力,没有能力以上的野望。
以上所记的,全是实际问题。
如此,我一生中的二件大事变成育英事业和世界漫游。
育英为培养出好子弟,补自己不足,竟自己未得之志。
世界漫游为既生在这地球上,想到处走走,把它了解个够。
这或许是野望也说不定。
晚上,台湾日日新报社的杨炽昌【1】和猪头两氏来访。
和郭水潭、陈培初、曾对等一起到西美楼、富士阁设宴欢迎之,一场豪饮畅谈。
【注】
【1】杨炽昌(1908-1997):笔名水荫萍、南润等。
台南市人。
台南二中毕业后入日本东京文化学院就读。
在学期间曾出版诗集《热带鱼》。
1931年返台,任《台南新报》文艺栏编辑、记者。
1934年创“风车诗社”,引进超现实主义诗潮。
战后任《公论报》台南分社主任、台南市记者公会监事、理事、常务理事、外勤记者联谊会常务干事。
并创办台南扶轮社,先后担任秘书、副社长、社长。
著作有《热带鱼》、《燃烧的脸颊》、《蔷薇的皮肤》等。