吴新荣日记>19390330

一昨日から郡下の临时种痘があった。
自分は佳里街に割当てられて割合に乐だったが、それでも日に二、三千名も种痘するものだからきつかった。
今日は中间休みなので、暇を利用して将军に归って见た。
南图以外の子供は皆そこに归っているので、その安否を见る外に、炼瓦塀の移动の结果もみたかった。
然し移动の技术の下手の为めに大门はピザの斜塔の如く倾き、塀は万里长城の如く高低して弯曲した。
その为めに大分美观を损ねたが、それでも部落制[整]顿の一つの纪念になれば又慰められるものだ。
尚大门は倾斜の为めに“赛台”を取り除くことになったが、父亲は字のある所の上迄取ったらいいと云ふし、国卿は全部と主张し、私は字のある所の下迄取ったらと云ふ意见だったが、とうとうやはり父亲の说に从った。
吾々は将军の家を大事にしなければならないと云ふのは、それはこの团体の古巢であり、この精神の故乡であるからだ。
然し万事自分の好きな通りになれなかったら、吾々はやはり早く自己の新しい巢を建设せねばならないと思った。
晚は将军の有志が植村氏を[の]送别宴が[を]富士阁に张ってゐるので、丁度西港病院の吴承发君が来てゐるので一绪に行ってみた。
吴金龙、吴天印、吴新发、と弟等合せて十二名も来てゐるから、第二次会は西美楼に招待して上げた。
前天开始郡下临时种痘,我分发在佳里街,算起来轻松一些。
虽然不用到远方,但一天得种两三千人,还是相当的苦差事。
今天是中间休息日,利用空闲回将军看看老家。
南图之外的小孩都在这里,来看看他们的情况之外,砖墙之改动结果也得了解一下。
结果是移动技术太差,大门倾斜一如比萨斜塔;
墙壁高低弯曲,一如万里长城,因而破坏了美感;
可是把它当做部落之整顿的纪念的话,也就值得安慰了。
因大门倾斜,只得把门面“赛台”打掉。
父亲认为只打掉文字以上的部分即可,国卿则主张全部打掉,我则主张打到字的下面即可,结果依父亲之意见行之。
我之所以那么重视将军的老家,因那是本家族之古巢,精神的故乡。
但如所有的事无法如自己的意,我仍然得早日建设一个自己的新的归巢才可。
晚上将军地方士绅在富士阁设宴送别植村氏,正好西港病院的吴承发君来了,就一起参加。
吴金龙、吴天印、吴新发、我弟弟等有十二人参加。
第二次聚会在西美楼,由我请客。